会話力

2004年3月25日 日常
とても簡単なのにとても難しい。
聞いてるつもりで聞いてなかったり、親身になるつもりが突き放してたり。。。
知らない人と続ける会話力が欲しい。

私は人と話す時、何故だか自分の感情を抑えてその場を取り繕うようなことをしてしまう。しかも知らない人、苦手な人の前では極端に無口に、話す内容も頭の中で空回りしているならまだしも、頭の中が真っ白になり、話すネタがなくなる事がかなりの確率である。
そりゃ話を続けられない私は他人にとっては面白みのない人に思えるだろう。
私も私のような人を相手にするのはちょっと願い下げだ。

てことは私は自分を認めていないことになる。
よく「自分を認めると他人も認められるようになる」
と言うけど、これはかなり難しいことだと思う。
頭では理解できていても心で理解できなかったら完全に理解したことにはならない。
語学も同じ事。頭で日本語訳ができてるのは別にその言葉自体を理解したことにはならない。その言葉の本来の意味を感じ取れれば日本語訳ができなくても使うことができるし、その方が反射的に自分の思うままに使う事ができる。

いやいや、そういうことを言いたいんじゃなくて、会話力。
しゃべりの人は相手に力があろうかなかろうがなにかしらの印象を与える。
それでなんとなく成立してることもあるし。
でも無口な人でも力の有る人は本当にしっかりした印象を与え、信頼ができるが、力のない人が力のないことを隠して無口を装ってもそれなりの、つかみ所のない人、という印象しか与えられない。

これ、かなり損。
人がどう思おうが自分のことを喋る、って必要だと思うんだけど、やっぱりちょっと経験がないと引っ込んでしまう。
そんなことやっても誰も手を差し伸べてくれないから意味ない事なのに、昔の癖で「誰か見つけてくれる」という甘い考えが頭を駆け回る。
誰も見つけてくれないよ。
自分から声をかけないと。
人は知らない人のことになんてかまってられない。

しかもさ、日本人って自分の意見を否定されたら自分の人格まで否定されたような気になって、その時の感情の誤解の修復はかなりキツいものがある(不可能だったりする)
じゃ、誰があなたの意見を正せるの?あなたの意見に口出しできるのは親しかいないの?あなた自信はは別に悪くないし、あなたの意見がちょっと違うだけで、誰もあなた自身を責めてはいない。
その区切りを明確にしておかないとちょっと辛い世間になりそうよ。
誰もあなたを否定してるわけじゃない。

最近これを経験で知った。知ったら人にも使えるような気がする。
それはなにも攻撃するために使うのではなくて、補足するようなかんじ。
でも自分自身に自信がないのでなんとも言えない。

まずは、全ての根源はその「自信」を作る事から。
でも「自信」って経験から作られる。自信のない時に経験したとんでもない失敗や恥ずかしい感情はどうすればいいのだろう。
囚われない程に覚えておいて、同じような状況になったときに回避できるヒントにすればいい。

書くのは簡単、でも実行するのは困難。

そしてまた夜は更けて行く。。。

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